アラフォーにもなれば、生活は落ち着いている。
なんとなく、そう思われがちだ。
でも実際はどうなんだろう。
落ち着いているように見えるだけで、内側はバタついていないか。
自分は「うまく回せている」と言えるのか。
ここで言う「回せている」は、キラキラした話じゃない。
破綻しないという意味だ。
物価が上がっても、予定外の出費が来ても、
メンタルが荒れても、生活が崩れない。
その状態を作れているかどうか。
「落ち着く」と「回せている」は別物
落ち着く、という言葉には雰囲気がある。
静かで、余裕があって、うまくやってそう、みたいな。
でも現実は、雰囲気で生活は回らない。
回せているかどうかは、もっと地味な部分で決まる。
- 体調を崩さないか
- 食事が荒れないか
- 無駄に疲れていないか
- 金と時間の使い方が破綻していないか
自分にとってのゴールは、ここだ。
「節約」がしっくりこない理由
物価高になると「節約しよう」という言葉が一気に増える。
昔の自分も、一人暮らしを始めた頃はそうだった。
でも今は、節約という言葉にあまり乗れない。
理由は単純で、節約そのものが目的になっている話が多すぎるから。
本来、節約は手段だ。
お金を貯めたい、生活を安定させたい。
その目的のために無駄を減らす。
ところが最近は、
- どのスーパーが一番安いか
- 何円得したか
- 安いから買う
みたいな「節約ゲーム」になっている気がする。
それが楽しい人はそれでいい。
でも自分には、どうもしっくりこない。
食を削る節約は、結局高くつく
自分は、食べ物をケチろうとは思わない。
ここは削らない。
食を削ると体調を崩す。
体調を崩すと病院に行く。
病院に行けば、結局お金も時間も使う。
ストレス発散も同じだ。
趣味を全部削ればストレスが溜まる。
ストレスが溜まれば、また体を壊す。
節約しているつもりが、後でまとめてツケを払うことになる。
それなら最初から、必要なところにはちゃんとお金を使う方がいい。
生活を回すために、自炊・作り置きを仕組みにした
自分はほぼ自炊だ。感覚的には9割以上。
作り置きして小分けして、冷蔵庫に入れる。
これが完全に習慣になっている。
楽な理由はシンプルだ。
- スーパーで買うものがほぼ決まっている
- 何を作るか迷わない
- 食べたいものにすぐ対応できる
レンジで温めるだけ。
「今日は何食べよう…」と悩む回数が、ほぼゼロになる。
健康を基準に考えているから、
「食べない」という選択肢はそもそもない。
だから、仕組みに落としておくと楽になる。
感動を追わなくなったら、食事は一気に楽になった
正直、日本の食事で強烈な感動はもうほとんどない。
だいたい味の想像がつく。
どこで食べても、名前が同じ食べ物はほとんど同じ。
割り切っている。
もちろん、お金をかければすごい料理に出会えるかもしれない。
でも、それを毎回続けることはできない。
だから自分は、感動を追う食事を手放した。
普段は栄養重視。
たまに外食するなら、ちょっといいところ。
それで十分だと思っている。
限界を受け入れたからこそ、自炊も作り置きも、しんどくない。
破綻しない理由は「生活水準を下げられる自信」
お金の不安がゼロかと言われたら、そんなことはない。
病気、事故、突発的な出費。
不安要素はいくらでもある。
それでも「生活が破綻する気はしない」と思える理由がある。
それは、生活水準をいつでも下げられる自信があるからだ。
無駄だと思えば人付き合いも切る。
娯楽も頻度や回数を見直す。
情報も必要なものだけ入れる。
新しいことを足すより、
今やっていることを見直して削る。
それを繰り返してきた結果、最低限の生活ラインがかなり低くなった。
結論:落ち着いたんじゃない。回せる形にしただけ
物価高は外側の問題だ。
でも、
- 何を必要とするか
- 何を削るか
- どこにお金と時間を使うか
これは自分で決められる。
節約という言葉に振り回されるより、
一度、自分の生活を真剣に見直してみる。
本当に必要なものは何か。
いらないものは何か。
それだけで、生活は驚くほど静かに、回り始める。

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